中心街からタクシーに乗り10分ほどで、村に着いた。
ここからは住所を頼りにタクシー・ドライバーと番地を探っていくことしか出来ない。
タクシーは進んで来た道をT字路で突き当たると大きな屋敷を右に折れる。
片方に住宅が並ぶ一帯は道を挟むと田畑が広がり、 私の実家(佐賀県)にも似た風景がそこにはあった。
M^, から頂戴した住所の121番地と照らし合わせながら、先へと進む。
ここの番地が127番地だから・・・。 行き過ぎていた。
来た道を、先程突き当たった場所まで戻ろうとタクシー・ドライバーと話しながら行き着いた先
そこが『121番地』大きな屋敷だった。
タクシーの到着を察したのか、観音開きの大きな門が金属音を響かせながら勝手に開く・・・。
屋敷の入口までは20mはあるだろうか、キッチンに面する小さな窓からご夫人が
M^, の居る方向を指し示していた。
目の前には、馬に跨ったままでも裕に入れる中世を想わせる屋敷の門が片方だけ開くと、
大きな体格の顎鬚を蓄えた太鼓腹の初老がエプロン姿でノッソノッソと私達のほうへ近づいて来た。
一瞬にしてその場の空気が変わったことを今でも感じ取れる。
『遠いところお越し頂き有難う、さぁ中へどうぞ』、丁寧なイタリア語で私達を迎え入れてくれた。
大きな体格の顎鬚を蓄えた太鼓腹の初老がエプロン姿でノッソノッソの彼が
M^, Gian Carlo Guicciardi本人だった。
扉を潜ると、18世紀のものだろうか一枚の鏡。 16人は座れるだろうテーブルが置いてあった。
ぶどうの収穫時期、畑仕事をした後にはここでみんなと食事をするんだ。 と間髪いれず説明が入った。
その畑仕事の意味はあとで説明するとして。
それらを後に、左手へと進む。 彼らの工房は納屋を改造したという2階にあった。
中2階には暖炉がある大きな大きなリビング。 ここにもまた18世紀の一枚鏡があり、サイド・ボードには
後世ストラド家から頂戴したという自慢の宝石箱が誇らしげに置いてあった。
光が差し込む工房に案内されるままに進むと、愛娘Raffaellaが迎えてくれた。
Gian Carlo Guicciardi 最初で最後の後継者だ!!
続く
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