10/Giu/2004, Maestro-, Gian Carlo GUICCIARDI(以下、M^, マエストロ)作品の紹介を受けた
その日の余韻を今でも鮮明に覚えている。 何十分もの時間、作品に眼を奪われた。
モデル・スタイル・ライン・ニス・仕事内容・・・、その作品には何一つ妥協した箇所が見当たらなかった。
粗捜しをしていたわけではない。 見とれていた。
この作品を作った制作者に会いたい、話してみたい。
それは弦楽器店の店主としてではなく制作者の1人として。
実現できたのは2005年2月になってのことだった。
・・・Can you
give me more information about?
29/Dic/2004,3:31am. Mr, S. Scherfから届いたM^, 作品についての突然のメールは
彼に会う切っ掛けを作ってくれた。
Mr. Scherfに宛てた返事には、作品の写真を添付し、私がM^, の作品から受けたパッションを
伝えきれるだけの精一杯の気持ちで、情報、紹介を受けた経緯、楽器の性格、そして感想を文字にした。
返事は翌日に届いた・・・(あえてイタリア語のままで記載させて下さい)
『Abbiamo guardato insieme le Foto che lei gentilmente ci ha fatto avere e
il Maestro si e` emozionato perche`
Da quando aveva venduto la viola non l`aveva piu` rivista ed anche perche`
e` la n. 16 delle 28 viole che ha fatto fino ad oggi.
La ringraziamo e ci piacerebbe molto avere un suo giudizio sullo strumento:
A presto,
Stefan Scherf, Raffalla e Gian Carlo Guicciardi』
M^, 本人の署名が添付され、改めて届いた感謝のメールに驚きを隠せなかった。
どうしてMr, Stefan Scherfは、M^, の娘婿と最初から書かなかったのだろう?
その理由は、M^, と会ったときに肌で確信した・・・。
友人達に、金曜日にM^, に会いに行くことを告げると、『凄く厳しい人だから覚悟して会ってこい!!』と
みんなは口を揃える。
ルカ(M^, Luca PRIMON)からも同じことを言われたのは意外だった。
何故なら、ルカと最初に会った印象も『厳しい人』だと感じたのだから。
金曜日の朝、ミラノからモデナに向かう電車の中で私は『覚悟』を決めた。
車窓から見える景色は差し込み陽射しと共に変わり、次第に100年前もこうだったに違いない
屋根を覆う赤褐色の瓦、冬場の畑、イタリアの田園風景に変わっていった。
モデナに到着したとき、時計の針は正午前を差していた。
続く
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